Tuesday, November 7, 2017

見えないものを見ること。






Facebookを読んでいると、世界のいろいろなニュースが飛び交っている。
今朝のは、外国人がリポートしている、過労死。
Karousi として、なんと、英語になってしまっているのは、
悲しい限り。寿司、sushiくらいにとどまってほしかった。
Karousi は、Wikipediaでも、読めて、overwork deathとなっている。
そのリポートをしている女性は、心なしか怒っているような顔でしゃべる。
それも、当然といえば当然、日本のサラリーマンは、
Work to death。
死ぬために働いているからだという。
なるほど、認めたくはないけれど、的を得ていると思う。
しかし、あの、リポートをしている彼女は、
駅のホームや、通りで、仕事のあとに、泥酔し、寝てしまった人の体のまわりに、
白い粉を置く。
私は、たまげてしまった。
寝ている人を、まるで、死体を見つけて、義務を果たす、警察官のように、
白い粉を置く。

彼女が発信したいことはなんなのか。
泥酔して、寝てしまう人をあざ笑うかのような
あの行為の中に、どんなメッセージがこめられているのだろう。


わたしがここ、UAEで、尋ねられることは、どこから来た?という質問が多い。
その次は、あんなお金持ちの国から、
こんなところに、何しに来たんだ。
この、二つの質問はセットといってもいい。

内情はわからない。

生きるために、
大変な日々を送っているけれど、
それは外からはみえない。

完璧だと思っていたもののなかに、
そうでもなかったんだというものをみつけたとき、人の特権意識は、
器用に働くようにできているらしい。
爪の先ほどの、モラルと、良心が、ほしい。

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